ピルとは、女性ホルモンを主成分とする経口避妊薬です。
不妊治療を行うクリニックで、なぜ避妊目的の薬が処方されるのか疑問に思うかもしれません。
しかし、不妊治療におけるピルは避妊のためではなく、ホルモンバランスを計画的にコントロールし、妊娠の成功率を高めるために重要な役割を担っています。
この記事では、不妊治療でピルが用いられる具体的な効果や目的、知っておくべき副作用、そして服用後の妊娠への影響について解説します。
「ピルを飲むと妊娠しにくくなる」は誤解です
ピル服用を続けると不妊症になるという話を耳にすることがあるかもしれませんが、これは医学的根拠のない誤解です。
ピルの服用によって、将来の妊娠に必要な卵巣や子宮の機能が損なわれることはありません。
ピルは服用している期間だけ排卵を抑制するもので、服用をやめれば体は元の状態に戻り、排卵が自然に再開します。
むしろ、子宮内膜症などの治療目的でピルが使われることもあり、妊娠しやすい子宮環境を整える助けになる場合もあります。
不妊治療でピルが処方される4つの目的
不妊治療でピルが処方されるのは、妊娠の成功率を高めるための明確な目的があります。
ピルに含まれる女性ホルモンによって体内のホルモンバランスを人為的にコントロールし、治療をより効果的に進めることが可能です。
主な目的としては、採卵に向けた準備、着床しやすい子宮環境の整備、採卵で負担のかかった卵巣の回復、そして治療スケジュールの調整という4つの効果が挙げられます。
これらにより、治療の精度と計画性を高めます。
採卵に向けて卵子の質を均一に育てるため
体外受精のプロセスでは、質の良い卵子を一度に複数採取することが理想的です。
自然周期では通常、一つの卵胞だけが大きく育つ「主席卵胞」となり排卵に至りますが、それでは効率が良くありません。
そこで、採卵周期の前にピルを服用し、一時的に排卵を抑制して卵巣を休ませます。
これにより、卵胞の大きさが不揃いになるのを防ぎ、均一な大きさで育ち始めるよう促すことができます。
その後の排卵誘発剤の刺激に対して、多くの卵胞が同じように反応し、成熟した質の良い卵子を複数個獲得できる可能性が高まります。
着床しやすいように子宮内膜の状態を整えるため
受精卵が子宮内に着床し、妊娠を維持するためには、子宮内膜が適切な厚さと状態であることが不可欠です。
ピルを服用することで、ホルモンバランスを整え、胚移植のタイミングに合わせて子宮内膜の状態を最適にコントロールします。
特に、不妊の原因となりうる子宮内膜症がある場合、ピルはその進行を抑制し、着床環境を改善する効果も期待できます。
ホルモンバランスの乱れによって子宮内膜が厚くなりすぎたり、逆に薄くなってしまったりするのを防ぎ、受精卵が根付きやすい、ふかふかのベッドのような状態を作り出すために用いられるのです。
採卵で負担がかかった卵巣を回復させるため
体外受精における採卵では、多くの卵子を育てるために排卵誘発剤を使用します。
この影響で、卵巣は普段よりも大きく腫れ、多大な負担がかかった状態になります。
採卵後にピルを服用すると、脳からのホルモン分泌が抑制され、卵巣の活動が一時的に休止します。
これにより、腫れた卵巣をしっかりと休ませ、回復を促すことが可能です。
特に、卵巣が過剰に刺激されることで起こる卵巣過剰刺激症候群(OHSS)のリスクを軽減する目的でも使用されます。
次の治療周期に向けて卵巣を万全の状態に戻すための、重要なクールダウン期間となります。
ホルモンバランスを調整し治療計画を立てやすくするため
不妊治療は、月経周期に合わせて採卵や移植のスケジュールを組む必要があり、正確な日程管理が求められます。
しかし、生理不順などで周期が不安定な場合、計画通りに治療を進めることが難しくなります。
ピルを服用することで、生理の開始日を人為的にコントロールできるため、採卵や胚移植の日程をあらかじめ正確に設定することが可能です。
これにより、クリニックの予定だけでなく、仕事やプライベートの都合も考慮した治療スケジュールを立てやすくなり、精神的・身体的な負担を軽減しながら治療に取り組めるようになります。
不妊治療でピルを服用する際に知っておきたい副作用
ピルは不妊治療において有効な薬ですが、服用にあたっては副作用の可能性も理解しておく必要があります。
吐き気や頭痛といった軽微な症状から、注意が必要な重大なリスクまで、その内容は多岐にわたります。
副作用の多くは、体が薬に慣れるまでの服用初期に現れ、次第に軽減していくことがほとんどです。
事前にどのような症状が起こりうるかを知っておき、過度に心配せず、つらい場合は医師に相談することが大切です。
吐き気や頭痛など飲み始めに多い症状
ピルの服用を開始した直後は、体内のホルモンバランスが急激に変化するため、副作用として吐き気や嘔吐、頭痛、乳房の張り、だるさといった症状が現れることがあります。
これらは「マイナートラブル」とも呼ばれ、病的なものではありません。
多くの場合、服用を2~3ヶ月続けるうちに体がホルモンの状態に慣れ、症状は自然に軽快または消失します。
吐き気が気になる場合は、就寝前に服用するなど飲む時間を工夫することで、症状を和らげられることもあります。
症状が長引いたり、日常生活に支障をきたしたりするほどつらい場合は、我慢せずに処方した医師に相談してください。
胸の張りや痛みを感じることがある
ピルの副作用の一つに、胸の張りや痛みがあります。
これは、ピルに含まれる女性ホルモン(特に黄体ホルモン)の影響で起こる症状で、生理前に胸が張る感覚と似ています。
この症状もマイナートラブルの一つであり、多くの場合は服用を続けるうちに体が慣れて軽減していきます。
ピルにはホルモンの種類や含有量が異なる様々な名前の製品が存在し、薬との相性によって副作用の出方も変わります。
痛みが強くて気になる場合や、日常生活に影響が出るようであれば、自己判断で服用を中断せず、医師に相談して別の種類のピルへの変更を検討することも可能です。
気分の落ち込みや眠気といった精神的な変化
ピルの副作用は身体的なものだけでなく、気分の落ち込みやイライラ、眠気、不安感といった精神的な変化として現れることもあります。
これは、ピルによるホルモン環境の変化が、脳内の感情をコントロールする神経伝達物質に影響を与えるためと考えられています。
不妊治療中は、それ自体が大きな精神的ストレスとなるため、ピルの副作用が重なるとよりつらく感じてしまうかもしれません。
副作用の現れ方には個人差が大きく、使用するピルの種類によっても異なります。
精神的な不調が続く場合は一人で抱え込まず、必ず医師に相談することが大切です。
ホルモンの影響によるむくみや不正出血
ピルに含まれる黄体ホルモンには、体内に水分を溜め込みやすくする作用があるため、副作用としてむくみを感じることがあります。
特に飲み始めに現れやすいですが、これも体が慣れるにつれて改善されることが多い症状です。
また、ピルの服用中に生理以外の出血が起こる「不正出血」も、比較的よく見られる副作用です。
これは新しいホルモンバランスに体が適応する過程で起こるもので、特に最初の1〜3シートで経験しやすく、茶色いおりもの程度の少量であることがほとんどです。
出血が長期間続いたり量が増えたりする場合は、医師に相談してください。
最も注意したい重大な副作用「血栓症」のリスク
ピルの副作用の中で最も注意が必要なのが、血管内に血の塊ができて詰まる「血栓症」です。
発症頻度は非常にまれで、低用量ピル服用者で年間1万人あたり3〜9人とされていますが、命に関わる可能性もあるため正しい知識が重要です。
血栓症のリスクは、肥満(BMIが25以上)、喫煙、40歳以上の年齢、手術後などの要因で高まります。
例えば、手術後の患者における深部静脈血栓症の発生率は0.3%から数%というデータもあり、ピル服用時も同様に注意が必要です。
ふくらはぎの急な痛み・腫れ、手足のしびれ、激しい頭痛、突然の息切れなどの初期症状が現れた場合は、直ちに服用を中止し医療機関を受診してください。
ピルの服用が適さない人の特徴
ピルは多くの女性にとって安全に使用できる薬ですが、体質や持病によっては服用が適さない、あるいは禁忌とされている場合があります。
安全に不妊治療を進めるため、服用前には必ず医師による問診や血圧測定、必要な検査が行われます。
特に、血栓症のリスクが高いとされる方(例:35歳以上で1日15本以上の喫煙者、高血圧、前兆を伴う片頭痛がある方など)は服用できません。
不妊検査と並行して、ピルを服用しても問題ないか健康状態を評価することが不可欠です。
ピルの服用をやめた後の妊娠への影響
ピルの服用が、将来の妊娠能力に悪影響を及ぼすことはありません。
服用をやめれば、抑制されていた排卵機能は速やかに回復します。
研究データによると、ピルの服用を中止した後の妊娠率は、服用経験のない人と変わらないことがわかっています。
個人差はありますが、多くの人は服用中止後3周期以内に排卵が再開し、約90%の人が1年以内に妊娠するという報告もあります。
服用期間の長さが、その後の妊娠率に影響することもありません。
服用をやめた後の排卵はいつから再開する?
ピルの服用を中止すると、脳からのホルモン分泌抑制が解除され、卵巣が再び働き始め、排卵が再開します。
28日周期のピルの場合、21日間実薬を服用し、その後の休薬期間(7日間)に出血(消退出血)が起こります。
次の新しいシートの服用を始めなければ、その後の周期から自然な排卵が戻ってきます。
排卵が再開するまでの期間には個人差がありますが、多くの人は1〜3ヶ月以内に排卵が回復します。
もともと生理不順があった人は、排卵が戻るまでに少し時間がかかる傾向がありますが、ピルのせいで排卵しなくなるわけではありません。
服用中止後も妊娠しにくい場合に考えられる原因
ピルの服用を中止してしばらく経っても妊娠しない場合、その原因はピル自体にあるとは考えにくいです。
考えられるのは、もともと持っている不妊の原因、例えば排卵障害、卵管の閉塞、子宮筋腫や子宮内膜症、あるいは男性側の要因などです。
また、忘れてはならないのが年齢です。
ピルを服用している間も年齢は重ねているため、服用開始前と比較して、加齢により卵子の質が低下し、妊孕性そのものが自然に低下している可能性もあります。
なかなか妊娠に至らない場合は、ピル以外の原因を調べるための詳しい検査が必要となります。
まとめ
不妊治療中に処方されるピルは、避妊目的ではなく、妊娠成功率を高めるために計画的に使用される重要な薬です。
ホルモンバランスを精密にコントロールすることで、質の良い卵子を育てる準備をしたり、着床に適した子宮環境を整えたり、治療で負担がかかった卵巣を休ませたりと、治療の各段階で多岐にわたる役割を果たします。
副作用は個人差がありますが、多くは服用初期の一過性のものです。
ただし、血栓症というまれながら重大なリスクも存在するため、正しい知識を持ち、気になる症状があれば速やかに医師に相談することが求められます。







